| 南西アジア旅行記 管理人の、7ヶ月間のアジア一人旅 おもしろエピソード |
■第1話 旅の序章 1979年秋、長野県のとある大学の4年生だった私は、学校には全く顔を出さずに日々せっせとアルバイトに精を出していた。 同級生たちが、せっせと就職活動を行い、もうすでに大半の学生の就職が決まっているというのに・・・ 大学では寮に住み、やっていたことといえば、土木工事現場をはじめとして、焼き鳥屋、クリーニング店、山小屋の荷揚げ、家庭教師、ちり紙交換の運転手などのアルバイトばかり。 およそ勉強には全く縁のない生活をしていた。 親からの仕送りはなく、生活費をすべて自分で稼ぎ出さなければならないから必然的にアルバイトが増える。 自力で生活していると、4年できっちり卒業しなければならないという意識も薄れてくる。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ある時、寮の大先輩から聞いた話が、私の旅心に火をつけた。 その人は、大学の山岳部に所属し、遠征でヒマラヤ登山をした後、自分だけ現地にとどまり、ネパールからインドを旅し、ボンベイ(ムンバイ)から貨客船に乗って赤道を越え、アフリカのモンバサに上陸した後、キリマンジャロに登って帰ってきたという。 10ヶ月間の壮大な旅の話を聞いて酔いしれてしまった。 ボンベイの女性との恋物語や、アフリカの草原で野グソをしていたらゾウの群れに追いかけられた話とか・・ 小柄で華奢な外見の大先輩が飄々と語る姿は、後光が射しているかのごとく神々しく見える。 「インドでは一日100円あれば暮らせるよ。」 「英語なんかできなくても、身振り手振りでなんとかなるもんだ。」 「イスラム圏ではサラーマレイクムと言って挨拶すれば皆礼儀正しく挨拶をかえしてくれるよ。」 どの話も、「自分にもできるかもしれない。」と思わせる内容で、興奮は高まる一方だ。 今まで海外旅行とは、一週間程度行って来るだけでウン十万円かかるもので、自分には縁のないものだとばかり思っていた。 大先輩の話を聞いて目からウロコが落ちた。 そうか、貧乏旅行をすればいいんだ! 日本と違って、お金がなければないなりに泊まれる宿もあるということだ。 物価も驚くほど安い。何ヶ月も滞在できるぞ。 水があわなくて、多少お腹をこわすことはあっても、まだ若いから大丈夫! ヒマラヤ、砂漠、遊牧民、赤道、南の国、イスラム教、モスク、大麻、ゾウや虎・・・日本とは全然違う遥かな世界 「知らない町を歩いてみたい〜 どこか遠くへ行きたい〜」 「遠い町、遠い海、夢遥かひとり旅〜」 私の背後で「遠くへ行きたい」の歌がささやく。 それからは一段とアルバイトに精を出した。 生活費以外にもお金を貯めて外国に行くのだ! 昼は土木工事現場で、夜は電気部品の製造工場で働いた。 当時で一日に1万6千円くらい稼いでいた。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お金は稼いだ。 着ていくものは何がいいかな。そうだ、アメ横で買った米軍放出品の服があった、あれにしよう。 リュックはどうする? 登山用のリュックは持っているけど、横に大きく広がったキスリング型という古臭いタイプだ。こんなに横幅があったら邪魔でしょうがない。 しかも後輩にマジックでさんざん落書きされていた。 しかたない。友人からアタックザックを借りることにした。 カメラが欲しいけど持っていないぞ。 これも後輩のを借りることにした。 借り物だらけの浮浪者風いでたちとなった。これで出発だ! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 1979年12月17日、私は成田空港発タイのバンコック行きエア・インディアの機内にいた。 生まれてはじめて乗る飛行機は滑走路を猛然と加速し、体がググット背中のシートに押し付けられる。ほどなく、車輪が大地を離れぐいぐいと上昇していく。 日本を離れてしまった・・・ 英語もろくに話せないのに一人で外国に行くのだ。 当時は今みたいに「地球の歩き方」なんていう詳しいガイドブックはなかった。 これから行くところがどんなところなのか、ほとんどわからない。 遠い国への憧れよりも、不安がいっぱいに広がってゆく瞬間だった。 (続く) |