| 南西アジア旅行記 管理人の、7ヶ月間のアジア一人旅 おもしろエピソード |
■ 第7話 アラビア海の船旅 列車の中で、泥棒にカバンを盗まれてしまったので、地図や辞書などがなくなってしまった。 これではやはり困る・・・ ボンベイ(ムンバイ)で救世軍に泊まったときに日本人客がいたので、彼からガイドブックを写させてもらった。 といってもコピー機はないので、すべて手書き! ボンベイはもちろん、マドラス、カルカッタ、デリーなどのインドの大都市はおろか、ラホール、テヘラン、イスタンブール、カイロなどの都市の地図も片っ端から手帳に書き写した。 さらに、各国の両替レート、簡単な挨拶、数の数え方、政治体制まで、ガイドブックの中で重要なところは書いて書いて書きまくった。 おかげで手帳はたちまち一冊のガイドブックとなった。 この情報の対価として、彼には私の胃腸薬を少しあげた。 ボンベイは大きな街だった。 救世軍に泊まる前は、安宿を見つけるために2日間街をあてどもなく歩き回ったが、この熱い大都市に生きる人たちのエネルギーに圧倒されまくっていた。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 さて、ボンベイの南約400kmのところにゴア州という小さな州がある。 インドはかつてイギリスの植民地だったが、ゴア州だけはポルトガル領だった。 ヒンズー教ではなくてカトリックが多い。 一応リゾート地ということらしく、ヨーロッパからの旅行者が結構行っているらしい。 そして、ヒッピーの溜り場になっている。 ヒッピーとは、今では随分古い言葉だが、辞書によれば 「60年代のアメリカで、既成の社会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった若者たち」ということになる。 この解釈はややネガティブだが、広い意味では 「自由を愛し、自分を信じ自分の生き方を肯定する人たち」ということにでもなるだろうか。 ・・・これは、ゴアに行って見るしかない! 1月14日朝、救世軍にいたクラウスという名のドイツ人いっしょに、ゴア州のパナジに向けて船に乗る。 アラビア海を見ながらのんびり船旅だ。 船にはインド人の子供たちが大勢、学校のツアーということで乗っていた。 子供ながらに英字新聞なんか読んじゃって、おそらくお金持ちの子弟たちだろう。 昼過ぎ、クラウスが私を呼ぶのでデッキへ行ってみると、イタリア人たちが輪になってチャラス(ハシシ)を吸い回している。 彼らは皆長髪でヒゲを伸ばし、いかにもヒッピーじみてカッコイイこと! ハシシ喫煙用小道具をぞろりと揃え、コブラを模った飾り道具から、手飾り、頭飾り、足飾り、なんとタブラ(インドの小太鼓)や横笛まで持っている。 でも、彼らの顔から髭と長髪を除いて顔本体をしげしげと見て見ると、何となく幼さが見え隠れする。 たいしたことなさそうだ。カッコだけか・・・ ヒッピーってのは、表面の体裁じゃなくて、何となく反体制で、生き方がユニークで、もっと精神的な意味でカッコイイものだと連想していたが・・・ でも、「仲間にはいらないか」ということなので、もちろん参加した。 ゴアにはどんなやつらがいるのだろう・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 西の方アラビア海に夕陽が沈む・・・ 大きな太陽が、ますます大きくなりながら水平線にさしかかる頃、水平線をゆく一艘の帆船が太陽に近づくのが見えた。 デッキにいた大勢の客たちが見守る中、その帆船のシルエットが、ついに大きな太陽の中に入った! たちまちデッキに大歓声が上がる。 夕陽をあびて金色に輝く水面。その夕陽の中に浮かび上がる、帆船のシルエット。 絵のような光景が現実に目の前に広がっていた。 あたりが暗くなる頃、デッキの上ではインドの学校の生徒たちが歌を歌い出し、前の方ではあのイタリア人たちも歌いだした。 アメリカ人の若者が、ビートルズの「In my Life」をギターで弾きだした。 私はただ聞き惚れていた。これまでの人生で最も素敵な晩だった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 1月15日朝、すがすがしい空気の中に、眩しい朝の太陽が輝き、波頭に光る陽光は、昼にものすごく暑くなるだろうことを感じさせた。 多くの帆船が行き来している夢のような光景だ。 ゴア州の州都、パナジに着いたのだ。 (続く) |