| 南西アジア旅行記 管理人の、7ヶ月間のアジア一人旅 おもしろエピソード |
■ 第11話 ヒッピーの聖地(朝の光と波の音は・・・) パーティーの夜、倍量のLSDを飲んでしまった私は、最初の歓喜のときを過ぎ、迷路の中に意識が落ち込む、いわゆる「Bad Trip」の状態にはまりこんでいた。 発狂しそうな恐怖で苦しんでいる私を見かねた隣人たちが、私をパーティー会場から静かな浜辺の方へと連れて行ってくれた。 浜辺に座り、波の音を聞いていると、意識の中の迷路は消え去り、少しずつゆっくりと正気に戻っていく・・・ もうすでに朝日が昇っている・・・ 一晩、私は別の世界へ旅していたのだ。 朝の浜辺で、地引き網の漁をしているインド人たちを、全く瞬きをせずに眺めていた。 朝の光と波の音はたとえようもなく優しい。 「俺は帰ってきたんだ。」・・・そんな気持ちだった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 さて、今から思えば、あの晩の体験は単なる「ドラッグによる幻覚だった」では片付けられないものだと思っている。 脳の一部が麻痺することによって、別の部分が超!活性化すること・・・例えば聴覚。 通常では決して聞こえない遥か遠くの小さな音が、非常にはっきりとクリアに聞こえること。 まるで、表面を覆っていたペンキを剥がしたらその下から美しい木目の木肌が現れるが如く、表面を覆っていた感覚が麻痺したために眠っていた本当の感覚、あるいは本当の自分が現れたようなものだ。 聴覚ばかりではない。 砂がさらさらと手に触れただけで、その触感はたとえようもないほど面白く、笑い転げるしかなかったほどだ。 いったいこれは何だろう? 眠っていた感覚が現れたと同時に、自分が誰であるか全くわからなくなってしまった。 自分と他のものとの区別がつかず、椰子の木を見ていると自分は椰子の木であった。 私は、この凄まじくも変な経験の後、こう考えるようになった。 《 本当は、自分と他のものとの境なんて無いんではないだろうか? 》 「本当の自分を探しに行く」というと格好いいけれど、本当の「自分」なんてものは実は無い! 自分の意識の底には無意識の世界があって、その裾野は底なしに下に開いており、たどっていけば他人の意識につながっているんではないか・・・と。 (そういえば、心理学者ユングもそんなことを言っていた。) 個人の意識なんて、例えていえば池に浮かんだ泡のひとつみたいなもんで、泡は当然池の水からできているから、自分(泡)の正体とは、泡の下にある池の水だ。 そしてそれは、池の水を通して他の泡ともつながっている。 「自分の正体」というものは、実は、他の人の「自分の正体」と同一だった! ということは、本当はこの世界には「たった一人」しかいなくて、我々が普段自分だと思っているものは、その吹き出物のようなものなんだろう・・・と そして池の水、即ち本当の自分(いや本当の我われとでも言ったほうがいいのか)というのは、素晴らしく整然と並んだ複雑で広大無限の迷路のようであり、まさに曼荼羅の世界! そしてそこは、物凄く眩くて快適で心地よく、ただそこにいるだけで笑いがとまらないほど素敵な世界なのだ・・・と 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 あのパーティーの当時、我々のハットには4人の日本人が住み着いていたが、LSDで私がおかしくなったことにより、皆少し頭を冷やそうというムードになった。 再び真面目な?旅に戻ろうと、同じように考えたのだろう。 あのパーティーから3日後、申し合わせたわけでもないのに4人ともそれぞれ別々に旅立って行った。 私は南インドに向かうことにした。 (続く) |