| 南西アジア旅行記 管理人の、7ヶ月間のアジア一人旅 おもしろエピソード |
■ 第18話 ヒマラヤの旅(1) カルカッタからダージリンを経て、インドのビザの有効期限である3ヶ月のギリギリ手前で、ネパールのカトマンズに戻ってきた。 カトマンズは貧乏旅行者にとって居心地の良い場所だ。 安宿はたくさんあるし、治安は良いし、物価も安い。 ネパール人はインド人のように「強烈」ではなく穏やかで人当たりが良い。 そんな理由からか、ここカトマンズには、ただなんとなく長期滞在している日本人旅行者がたくさんいた。 クニに帰れば親の後を継いで坊主になるという人。皆から「お坊さん」と呼ばれていた。 旅はもう6回目だという女性。「モロさん」 ヨーロッパから自転車に乗ってカトマンズまでやって来た「中(ちゅん)さん」 その他多くの日本人旅行者たちが、のんびりと楽しく暮らしていたが、私もその中に混じって、パーティーに参加させてもらったりしていた。 ⇒長期旅行者は安宿を探す ⇒日本人だと会話が簡単なので日本人から情報を得る ⇒日本人が多く泊まる安宿に集まる・・・という図式 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 外国に長期間旅にでると、その土地の人たちとの触れ合いのほかに、意外に、旅先での日本人とのつきあいが多いものだ。 日本国内にいたときには話をする機会はなかったであろう種類の人たちとも出会うことになる。 皆、日本にいたときの日常の煩わしさから解放されて自由に過ごしていることから、印象深い人が多かった。 ・・・しかし、居心地が良い場所というのは、それなりに悪い面もある。 どうしても日本人同士でのつきあいが多くなり、楽ではあるけれど、次第に煩わしさを感じることもまた多いのだ。 中には嫌な人もいる。アホーを撒き散らしている「日本の恥め!」と思う人さえいる。 カトマンズに10日ほど滞在し、だんだん退廃的な気分になってきた。 これではイカン! 一人で山にでも行ってこよう! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 1980年3月23日早朝、同じホテルに泊まっていた日本人たちに起こしてもらい、朝飯までご馳走してもらって、見送られながらヒマラヤトレッキングに出発。 目指すは、かつてイギリスの探検家ティルマンが「世界で最も美しい谷」と賞賛したといわれる「ランタン谷」だ。 本当はエベレストが見たかったけれど、そこへ行くにはカトマンズから、トレッキングの起点となるルクラという町まで飛行機で行かなくてはならない。 飛行機代は高いので、もったいない。 かといって、ルクラまでのバスはない。 では歩くか? でも歩けば20日くらいかかるそうだ。 と・・遠い! そういうわけで、カトマンズから一番近い、一番安上がりに行ける山域であったランタン谷に行くことにしたのだ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 カトマンズからバスで4時間ほどで着くトリスリバザールという町から歩きはじめる。 広い川原を歩き、初日はベトラワチという集落に泊まった。 トレッキングコースになっている街道の集落には、たいてい、日本でいうところの民宿のような家があり、そこに泊まることができる。 1泊2ルピー(約40円)という超格安で、食事も出してくれる。 この集落の中心に水場がある。 目の高さくらいのところに設けられた樋から常に水が流れ落ちてくるので、そこで洗濯をする人がいたり、壺をかついできて水を入れて運んでいく人がいたり、井戸端会議をしている女性たちがいたりという具合だ。 宿に着き、暇なので井戸端会議の様子を眺めていて、ふと、この水はどこからきているのか気になった。 裏に回りこみ、上部をのぞいて見ると・・田んぼだった。 段々になった棚田の一番下の田から流れ落ちてくる水を、人々は炊事や洗濯に利用していたのだ(@_@) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 夕方、ネパール人にしては珍しく体格の良いこの家のおばさんが私に言った。 「Gohantabero!」 おぉー! 日本語だ。しかも「ご飯食べろ」だ。 おばさんが日本人トレッカーから教わった日本語が、サヨナラ、コニチワとこの「ゴハンタベロ」だそうだ。この「ゴハンタベロ」の響きがとてもよかった。 食事は極めて質素で、ご飯に豆のスープカレーをかけただけのものだ。 でも、この先、上の集落ではジャガイモが主食だったことを思うと、ご飯が出るだけマシだ。質素だけれど、腹がへっているからとてもおいしい。 家の中では、子供たちが大きな声で、読み書きやら英語やらを、お父さんとおぼしき人の前で勉強していた。 勉強の合間にも、子供たちは入れ替わり立ち代り勝手に私の部屋に入ってきて、私の持っているミカンをねだったり、ハーモニカを吹いて見せたりするのだ。 ミカンをあげないでいると、いかにも悲しそうな顔をする。 仕方ない。貴重な食料だが分け与えてあげよう・・・ 汚い格好だが、とても可愛い子供達だ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 翌日、宿の人の話では3時間、ガイドブックによると7時間かかるという道を、ラムチェに向け出発。 実際には4時間半ほどかかった。 ベトラワチ周辺にはバナナの木が生えていた。これから登るランタン谷の奥は雪の世界だというのに。 道は段々畑のへりを通ってどんどん高度を上げてゆき、やがて谷の斜面の左岸上、ずっと高いところの山腹を、いくつもの谷筋をぐねぐねと曲がり、長く続くようになる。 2時間くらい歩いたところで、比較的大きな集落があった。マニガオンというところだ。 ここでチャイだけ飲んで、何も食べなかったのは失敗だった。 マニガオンを出てから腹の減ること腹の減ること! 坂も登りがきつくなり、腹が減って力がでなくなった。 チベット系の顔をした現地の人とたくさん行き会ったが、彼らはたいていは荷を背負っていた。頭にヒモをかけ、荷重を支えている。 そして、歩きながら時々大きな声で歌を歌っていた。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ラムチェは、5・6軒の石造りの家があるだけの、小さな小さな集落だ。 道にムシロをひいて、おばさんがはたを織っている。周囲には、ニワトリ、イヌ、ヤギ、牛、水牛が歩きまわっている。人より動物のほうが多い。 荷物を宿に預けて、集落からちょっと離れた山腹の道の横にある岩に登り、デンとあぐらをかいて、ガンジャをふかしながらあたりをしばらく眺めていた。 谷の対岸の、高い高い斜面の上の方からケムリが上がっているのでよく見てみると、そこまで急な斜面を縫うように小道がある。 さらには、急斜面のところどころに段々畑がある。 下の谷からあそこまで歩いたら、ゆうに2時間くらいかかりそうだ。 すごいところに人は住んでいるものだなあと感心する。 かすかにどこかで声がするので見てみると、遥か下の段々畑に人がいた。 気をつけてよく見たら、あっちこっち、上にも下にも人がいる。 自分はいいところに陣取って、まわりには誰もいないだろうと思っていたのが大間違いだった。 視力・聴力の退化した現代人の私にとって、はじめここは何もないさびしい場所に感じていたが、実はそうではなかった。 ヒマラヤ山中のこの大空間には、たくさんの人の息吹があったのだ。 ただ、人と人との距離が相当に遠いというだけで・・・ 頭にヒモをかけて薪を背負った女の子が通った。時々立ち止まって、遥か下の畑にいるおっさんと大声で話したりしている。そういう声は、この深い谷間によく響き渡る。 ここの人たちが自分の「身の回り」として意識している範囲は、おそらく日本人の100倍くらい広そうだ・・・ 彼らの意識の中にはこういう大空間が入っているのか・・・ (続く) |