| 南西アジア旅行記 管理人の、7ヶ月間のアジア一人旅 おもしろエピソード |
■ 第32話 イランの印象(1) 1980年5月6日朝、イラン入国 辺境の国境事務所はほんとにド田舎という感じで、イラン側もパキスタン側も全然チェックが厳しくなかった。 国境事務所の待合室に若いイラン女性がいたが、建物の中にいるせいかチャドルを脱いでいた。おぉー美人だ!(^o^) イラン側で3人のイラン人学生といっしょになり、彼らとトラックをヒッチハイクしてザヘダンに向うことになった。 彼らはインドに留学していて、夏休みで一人はイランの首都テヘランへ、あと2人はイスファハン、メシェッドへと、それぞれの家に帰るのだそうだ。 まだ5月なのにインドの大学はもう夏休みなのか? 確かに今が一番熱いけど。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 トラックは猛烈な砂埃の中を、ぶっ飛ばす。トラックはTOYOTAだ。 対向車とすれ違うと砂埃で前が見えなくなる。だからトラックは昼間なのにライトをつけて走っている。 我々4人は荷台に乗り込み、全身砂埃にまみれながら、大声で会話していた。 3人とも本当に話好きだ。 政情不安の国といっても、彼らは淡々としており、「日本人がイランに入るのは怖かっただろう。しかし我々は、アメリカ人に対してだって何もしなかった。」 などと言っている。 この時期、イラン革命の後テヘランにあるアメリカ大使館をイランが占領した、いわゆる「アメリカ大使館占拠事件」の真っ最中で、 アメリカはペルシャ湾の空母からヘリ部隊を発進させて軍事力で大使館の人質を救出しようとしたが、途中で砂嵐にあって作戦を失敗するなどということが起きていた。 ホメイニ師を元首とするイラン政府はアメリカを非常に敵視していた。 連日のように「アメリカに死を!」などと唱えてデモをする光景が、日本ではテレビ中継されていたそうだ。 また、そういう情報を私ももらっていた。 イランの町でいきなり「アメリカは敵だ! カーター(大統領)に死を!日本はアメリカの同盟国だから日本人も敵だ!」などと言われて、胸ぐらを捕まれたり殴られたりしないだろうか・・・なんて恐れていたので、イラン人学生の話を聞いて少し安心した。 国どおしが喧嘩しているからといって、一人ひとりの人間どおしまで喧嘩することもなかろうに・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ザヘダンに着いて驚いた。 思っていたよりもなんと近代的な街よ。全然ごちゃごちゃしていない。 街路樹があり、乗用車が多い。 「馬車」とか「ロバ車」「人力車」「牛」なんてものはいない。 スーパーマーケットまである。スゲー! イラン人学生の3人のうち2人は、それぞれテヘランとメシェッドに向った。 一人は私と同じくイスファハンに行く。 彼らにいろいろしてもらい、午後2時発のバスに乗った。 このバスが超近代的! これに比べたら、ネパールのバスなんか廃車同然だ! なんだか、パキスタンーイランの国境を境に、インド亜大陸と中東では世界が違う感じがする。 世界というより時代が違うとでもいう感じか。 さて、そのバスがまさに出発しようとした瞬間、私の席のすぐ後にいたおばちゃんが突然、「アラー! なんとかかんとか・・」と唱えだした。 するとそれに続いて、乗客たちが一斉に同じことを大声で唱える。 なっ、何だこりゃ! この「旅の無事を願う一斉お祈り」はイランの長距離バスではたびたび出くわすもので、 イランのバスはインドなどと違って普段は静かなんだけれども、出発するときや休憩後に走り出すときなどに、誰かの音頭で突然はじまり、驚くときがある。 皆、つきあいでやっているのではなく、結構真剣に大きな声をだしている。 ザヘダンの街を出て広大な沙漠にでると、広く舗装された実にいい道路が真っ直ぐに伸びている。 なんだかアメリカ西部でも走っているような感じ。 沙漠といっても、パキスタン西部と違って徐々に草原の様相を呈してきた。 遊牧民の姿はあまり見かけなくなったが、キャラバンサライの跡がたくさん見かけられる。 バスは夜通し走り、朝目覚めると草原が朝陽を浴びて黄金色に輝いている。 朝6時、バスはある小さな町のモスクの前に停まった。 乗客は全員降りて、モスクの前の水場で顔や手を洗い、お祈りしている。 私も、あのおばちゃんに勧められて顔や手を洗うのだった。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 午前8時、イスファハン着。例のイラン学生とは、タクシーに乗るところまでお世話になって別れた。 この国の人々は、普通の乗用車を止めて、それをタクシーのように使う。皆がそれをやる。 本物のタクシーに乗るよりは安上がりだが、逆に言えばヒッチハイクが有料だということだ。 料金は乗る人と乗せる人の交渉で決まるが、相場がある。しかし、外国人は相場を知らないから高く請求されるのだ。 クルマはとても多いが信号はほとんど無く、あっても無いに等しい状態だった。 したがって道路の横断は大変だ。 イスファハンのホテルに泊まったら、お湯の、それも本当に温かいお湯が出るのには感動した。 これまで暖かいお湯のシャワーが出るホテルに泊まったことなどなかったから。 夕方、王宮広場を散歩し、シャーモスクやバザールを見物した。 バザール・・・即ち「市場」 現代の「ペルシャの市場」は、ガラス張りの立派な店がほとんどで、その前をきれいなチャドルをまとった婦人たちが行き交う。 この国はイラン革命の後、イスラム教の戒律が厳しく守られるようになり、女性は昔のように人前ではチャドルを身に付けることが義務付けられてしまった。 しかし、ただの真っ黒な布に見えるチャドルも、よく見ると濃淡をつけた細かいアラビック模様がびっしりと施されていて、それなりにオシャレをしているのだった。 パキスタンではこのようなオシャレチャドルはなくて、ただの汚い白い布だったけど・・ 女性は鼻筋が通ってフランス人みたいな顔をしている。子供もきれいな洋服を着ている。 街の街路樹や噴水、パラソルの下の洒落た野菜売り・・・ もうここは、インド亜大陸とは全然別の世界だ。 (続く) |