| 南西アジア旅行記 管理人の、7ヶ月間のアジア一人旅 おもしろエピソード |
■ 第38話 国民総商売人 イスタンブールは当時、南西アジア地域を旅する貧乏旅行者にとっては、ネパールのカトマンズと並んで、居心地が良くて長期滞在してしまう街と聞いていたが、 たしかに私も、ブルーモスク近くの安宿に3週間近くも滞在していた。 今から思えば、毎日何してたんだろう? トブカプ宮殿やグランドバザール、ボスポラス海峡といった「見どころ」をブラブラ見物したり、映画を見たり・・・ 同じ宿に泊まっていた日本人旅行者がなぜか持ち歩いていた少林寺拳法初段の免状をもとに、トルコの国際学生証発行事務所に行って、 「これは日本の東京大学の学生証である。」と言って国際学生証を発行してもらい、彼が学割で航空券を購入する手伝いをしたり・・・ 別の日本人旅行者は、今自分が持っているラジカセが邪魔で不要になったから処分したいと言い出した。 でも彼は、ヨーロッパ側からイスタンブールにやってきた人間で、旅先で物を売った経験がないという。 「じゃあ私が街でそのラジカセを売ってきてあげましょう。そのかわり売り上げの半分をもらえませんか。」 「いいですよ。お願いします。」 インドなどで様々なものを売ってきた私は、ここイスタンブールでの反応がどうなのか知りたくて、彼のラジカセを持って人通りの多いガラタ橋そばに行き、海べりの歩道の柵に座ってラジカセから音楽を流してみた。 眼の前をたくさんの人たちが行きかう。 私はただ柵の上に座り、ラジカセを見せびらかして音楽を流しているだけだ。 ほどなくして、男が寄ってきた。 「あんたはそれを売っているのか? いくらで売る?」 やっぱりな・・・・2005年の現在ではどうか知らないが、1980年当時の南西アジアでは電化製品、特に日本製電化製品は憧れの的の貴重品だったらしく、見せびらかしていると・・・いや、インドでは見せていなくとも・・・ 「何か売るものはないか?」、「それをいくらで売る?」 の連続だった。 トルコで日本製の古いラジカセはいくらの価値があるのか? 「40ドル(当時の約1万円)だ。」 私は言う。 「Too much!」と言って男は去っていく。 でもその後も次から次へと男が寄ってくる。 「私はリビア人だが、リビアの100ディナールで売ってくれ。」 見ると、物凄くしわくちゃな浅黒い顔をした小柄な男だ。 男はお札を一枚取り出した。見たこともない大きな大きなお札だ。 「リビアの100ディナールだって? 私はそのお金がどのくらい価値があるのかわからないんだ。残念だけど売るわけにはいかないよ。」 リビア人だと名乗る男はとても礼儀正しい感じの紳士だった。 私が売らないというのを聞いて、大変残念そうに去っていたが、私は宿に戻ってから 100ディナールがどのくらいの価値なのか調べてみた。 なんと100ディナール=100ドル!! そんなに価値のあるお札だったのか・・・ トルコで100ドル(当時の2万5千円)は、素晴らしく大金だ。 あのリビア人の男に売っておくんだった! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 100ディナールの価値を逃がした私は、結局35ドルでトルコ人に売った。 これが、この長旅で私が売った最後のものになった。 インドから中東にかけて、人々は本当に気軽にものを売り買いしている。 商人でなくとも一般庶民でも皆やっているのが面白い。物の売り買いは商人だけのものではなく生活の一部なんだ。 インドでも、田舎のおばさんが列車の中でミカンを売っていたり、子供が何かを売りつけたり、 私が町の中で要らなくなった服を広げて声をかけると、たちまち人が集まってきたり・・・ そういうことは、いつでもザラだった。 「国民総商売人」という感じだ。でも悪い意味ではなく、ほんとはそれが当然のことなんじゃないか、商売は商売を本業にする人たちだけのものじゃなく、人間の生活の一部なんじゃないか・・・・と、この旅を通して感じた私でありました。 その影響か、イスタンブールのグランドバザールで見かけた「マジックリング」という、知恵の輪のような組立式の指輪が気に入って、 指輪をつくっている工場まで出かけていって、これを100個仕入れ、帰国してから街のお祭りのときに露天商のニイサン達から睨まれ、文句を言われながらも売ったことがありました。 でも儲けは微々たるもの・・・プロのようには行かないですねぇ(^^ゞ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 さて、日本の学生寮の同僚であるT君が、シベリア鉄道経由でヨーロッパに入り、東欧諸国を南下してここイスタンブールに来ているはずだった。 日本との手紙のやりとりでそういう情報を得ていたけれど、T君はいったいいつイスタンブールに来たのかのかわからないし、どこに泊まっているのかも分からない。 本当に来ているのかどうかすら分からない。 (当時はインターネットがなかったので、情報が極めて遅く、少なかったのです。) ただ、私は手紙の中に 「自分はこれからトルコに向かうが、5月下旬から6月頃にはイスタンブールにいるはずだ。旅行者から聞いた情報によると、良さそうな安宿は○○と○○だから、どちらかに泊まっているだろう。 T君、イスタンに来たら是非寄ってくれ。」 と書いておいた。 異国の地で、故郷の親友と再会するというのも面白そうで、とても楽しみにしていたのだ。 イスタンブールに3週間も滞在していたのも、彼が現れるかもしれないという期待があって、待っていたことも理由のひとつだ。 それなのに、待てど暮らせど彼は現れなかった。 もう諦めて、ほとんど忘れかけていたある日、いつも通るブルーモスクそばの広場を散歩していた私の数十メートル前を、見覚えのある顔の男が横切った。 あれはもしや・・・・? すごく似ている! 急いで追いかけ、その男の前に回りこんで覗いてみた瞬間、やった!! 私は大声で彼の名を叫んだ。 感激、感激、もう爆発的感激! ホモじゃないけど、このときばかりは男どおし抱き合って喜んだ。 早速、ガラタ橋そばにある船の上の店に行き、ビールで乾杯(^^)v 何ヶ月もアルコールを口にしていなかった酒好きの私にとって、このときのビールほどうまかったものはない。 アジアから来た男とヨーロッパから来た親友が偶然再開を果たし、ボスポラス海峡の夕陽と行きかう船を眺めながら、いつまでも旅の話に花を咲かせていた、想い出の一日でした。 (続く) |